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 安詳寺は、山号を長久山と号し、寛永6年(1629)11月に安詳院日憶上人により開山された。
 堂宇は、はじめ庵室程度のものであったが、元禄年間(1688〜1704)に、第4世日照上人によって立派な堂宇が建立された。この堂宇は、大正15年(1926)に第17世龍徳院日充上人によって大修復されたが、戦災を受け焼失した。
 第18世日芳上人は、昭和22年に約25坪の仮堂を再建し、その後昭和40年に第19世日明上人の発願で現在の堂宇が建立された。

全景



本堂 客殿








御本尊


 お題目を中心に左にお釈迦様、右に多宝如来が並座し前に日蓮聖人という一塔両尊の御本尊。  像底に記された墨書銘によれば、寛文9年(1669)に青木清左衛門の内方(妻)妙圓が、父母の冥福を祈るために造像したものである。
 本山小湊(現在の千葉県)誕生寺の20世日明上人によって開眼されたことが、その著名花押からわかる。江戸時代初期の在銘の日蓮聖人像として貴重である。
 寄木造・彩色・玉眼、像高約30cm。
 大田区指定文化財






鬼子母尊神のご紹介

 鬼子母神は、訶梨帝(母)、歓喜母とも呼ばれる。もともとは大夜叉女神で、千子(或いは、五百子・万子)をもちながら他人の子を捕食し、ためにお釈迦様はその一子を隠して改悔せしめたという。鬼子母神は右手に吉祥菓と呼ばれる果実をもった姿をし、この吉祥菓とは一般にザクロであるとも言われている。鬼子母神信仰は今でも生きていて、子のない人が子を願い、安産と子供の健康を祈って参詣します。
 特に日蓮宗では法華経の信仰者を守護する神として尊崇されている。
 安詳寺鬼子母神様は右手に髪を持ち、左手に子供の手を引いた尊像で、霊験あらたかであると言われ、信仰の篤い方の参詣が絶えない。






 


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